少し己の来しかたを
己の来しかたを簡単に振りかえらせて頂きたい。
私の公式のデビューリサイタルは、1960年に東京芸大を卒業した年の秋で、会場は第一生命ホール。日比谷のお濠端にあり、当時は日比谷公会堂と並んで東京では有数の音楽会場だった。エネスコのソナタ第3番(日本初演)、シューマンのファンタジー、ラフマニノフの前奏曲4曲、それにプロコフィエフのソナタ第2番を弾いた。はやく弾きたくて弾きたくて、演奏会の一週間ぐらい前からホールの前をうろうろ彷徨した。大好きな酒も禁酒したが、あれは一種のセレモニーだったのだろう。後にそんなことはまったく意味がないと気が付き、酒を断つのは生涯やめにした。
第2回は一年後で、今度は全曲邦人作品。三善晃、平尾喜四男、中田喜直のソナタに宅孝二のソナチネという選曲。そんなもの弾いたって誰もお客さんは来てくれないよと皆に笑われたが、結果は満席で批評も絶賛。三善晃、間宮芳生、それに矢代秋雄は私の若き日の神様たちだったし、中田喜直もまた。
第3回はその一年後。バッハの平均律第1巻から変ホ短調の前奏曲とフーガを弾いたのを覚えている。バッハを弾いたのはその時限りで、次に弾いたのは41年後、左手のピアニストとしてステージに復帰した時。だがそれ以来弾き続けているから、もう何百回弾いただろう。
第4回はメシアンの大曲<幼子イエスに注ぐ20の眼差し>の日本初演。その色彩もリズムも華麗で、目が眩みそうで、強い嘔吐感を覚えた。演奏して吐き出さなければいてもたってもいられなかった。当時仲のよかった八村義夫が仲間たちと、「二時間もかかる現代作品を舘野は暗譜できるか」と賭けをするなど、話題にもなった。
プログラムを決めるのは、とても大事な仕事で夢がある。いまでも自分で気にいっているのは、1969年にストックホルムとオスロのリサイタルで弾いたもので、スクリャービンのソナタ第3番、バルトークの組曲<戸外にて>、矢代秋雄のソナタ、最後にラヴェルの<夜のガスパル>というものだった。オスロのホールには壁一面の巨大なムンクの壁画があったことも忘れられない。
考えてみれば、芸大を卒業してから52年間、脳溢血で弾けなかった2年間を除いて、毎年東京でリサイタルをしてきた。後には同じプログラムで大阪、札幌、福岡でも演奏会をしたし、全7夜のシューベルトのソナタ全曲演奏会なども加わるから、かなりの数になるだろう。成功もあるし失敗もある。一般の方々には分かりにくいかもしれないが、ここでいうリサイタルとは自主公演のことであり、年間50~100回行う、依頼された演奏会とは別のものである。曲目を自分で決めるのは勿論、会場、チラシ、ポスターの製作や販売など、経済的責任を全部自分で背負う。その代り、本当に自分が弾きたいものが弾けるのが有難い。
太平洋戦争の末期、空襲で直撃弾を受けて、私たちの住んでいた上野毛の家が全焼してしまった。8歳だった私は終戦までの数ヶ月を栃木県間中の農家で過ごさせて貰った。
ピアノも焼けてしまったし、裸足の生活だったが、懐かしく忘れられぬ生活だったと、いまでも感謝している。村の小学校は分校で生徒数10数人。住んでいたのは蚕部屋で、夜になり皆寝静まると蚕がさわさわと動く音が聞こえだす。青大将も時々梁を渡っていたし、軒には何匹もの蝮が日干しになってぶらさがっていた。私もまた、夜になるとさわさわと動き出す蚕だと思うのである。もう50年も桑の葉のように音楽を食べてきた。それで絹糸になるのだろうか。分からないが、それでもただ食べたいのである。谷川俊太郎さんの詩の一節が思いだされる。
生きのびるために 生きているのではない 死を避けるために 生きているのではない (中略)死すべきからだのうちに 生き生きと生きる心がひそむ 悲喜こもごもの 生々流転の
今回、全16回に及ぶ「左手の音楽祭」を開催させて頂く。若い頃から音楽家は手職人だと思ってきたし、自分の手も好きだ。こつこつと毎日手仕事を続けるうちに、75歳になったのである。「左手の音楽」といったが、自分では左手だけでやっているとか、なにか特別なことをしているという意識はあまりない。やっているのは「音楽」なのである。
日本ばかりだけでなくフィンランド、アイスランド、アルゼンチン、アメリカなどの作曲家たちが素晴らしい作品を書いてくれ、また書き続けてくれている。今回の音楽祭には入らなかったがオーストリア、アルメニア、エストニアの作曲家たちも、左手のために、これから作品を書いてくれるという。全16回が終わっても、することはまだまだある。今回、シリーズ全部の後援をしてくださるフィンランド大使館、そしてavex-CLASSICS、
ヤマハ株式会社、舘野泉ファンクラブの協力に厚く感謝したい。
2004年に復帰演奏会を行った日は5月18日。奇しくも父の命日であった。その時のプログラムに「今年90歳を迎えた母に、今日の演奏を聴いてもらえることを、なによりも有難いと思う」と書いたが、母も昨年8月に97歳の大往生を遂げた。初演曲を書いてくれたノルドグレンもまた、数年前に帰らぬ人となった。私が喜寿を迎える日は<舘野泉フェスティヴァル>の最終日。さあ、それからは?
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